2011年01月23日
根本の本懐
城山三郎の小説「男子の本懐を」ご存知ですか?
昭和初期、日本は長引く不況に悩まされていました。その時代に内閣総理大臣に就任したのは、私が尊敬する政治家、浜口雄幸です。彼の半生を描いた小説が「男子の本懐」です。
浜口雄幸は多くの抵抗勢力の反対にあいながらも、財政再建と行政改革、さらには軍縮を断行します。改革の最中、昭和5年11月、東京駅で銃撃されますが、幸いに一命を取り留めます。
「宰相たるものが嘘をつくというのでは、国民はいったいなにを信頼すればいいのか。」(城山三郎著「男子の本懐」より)国会への登院を見合わせるよう説得する医師・近親者に浜口雄幸が語った言葉です。健康が回復しないまま、約束通り国会へ登院し、残念ながら4ヶ月後に亡くなります。浜口雄幸が命にかえて、「国民との約束」を守り貫いた姿勢、生き様に心が打たれます。
私の政治家としての志は「政治に対する信頼」を取り戻すことです。この志を成し遂げることが、私・根本幸典の「男子の本懐」です。
<そういえば>
田原藩の江戸藩邸は、現在の最高裁判所付近、東京都千代田区隼町の「三宅坂」。田原藩のお殿様が三宅姓だったので「三宅坂」と称されるようになったそう。
ところで、吉田藩の江戸藩邸は何所に構えられていたか、ご存知でしょうか?大変、気になり以前、二川本陣資料館の学芸員さんに、お尋ねをしたことがあります。
吉田藩の江戸藩邸は、現在の東京駅日本橋口(東口)付近。古地図で見ますと「伊豆守」と表記されているのが、吉田藩の江戸藩邸だそうです。
東京駅の話題が出ましたので、思い出しました。
昭和初期、日本は長引く不況に悩まされていました。その時代に内閣総理大臣に就任したのは、私が尊敬する政治家、浜口雄幸です。彼の半生を描いた小説が「男子の本懐」です。
浜口雄幸は多くの抵抗勢力の反対にあいながらも、財政再建と行政改革、さらには軍縮を断行します。改革の最中、昭和5年11月、東京駅で銃撃されますが、幸いに一命を取り留めます。
「宰相たるものが嘘をつくというのでは、国民はいったいなにを信頼すればいいのか。」(城山三郎著「男子の本懐」より)国会への登院を見合わせるよう説得する医師・近親者に浜口雄幸が語った言葉です。健康が回復しないまま、約束通り国会へ登院し、残念ながら4ヶ月後に亡くなります。浜口雄幸が命にかえて、「国民との約束」を守り貫いた姿勢、生き様に心が打たれます。
私の政治家としての志は「政治に対する信頼」を取り戻すことです。この志を成し遂げることが、私・根本幸典の「男子の本懐」です。
<そういえば>
田原藩の江戸藩邸は、現在の最高裁判所付近、東京都千代田区隼町の「三宅坂」。田原藩のお殿様が三宅姓だったので「三宅坂」と称されるようになったそう。
ところで、吉田藩の江戸藩邸は何所に構えられていたか、ご存知でしょうか?大変、気になり以前、二川本陣資料館の学芸員さんに、お尋ねをしたことがあります。
吉田藩の江戸藩邸は、現在の東京駅日本橋口(東口)付近。古地図で見ますと「伊豆守」と表記されているのが、吉田藩の江戸藩邸だそうです。
東京駅の話題が出ましたので、思い出しました。
Posted by 根本幸典 at 19:58│Comments(0)
│志・情熱・姿勢